Interview Vol.1


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Vol.1 Vol.2 アカマトシノリ

-Vol.1-


好きでやってることだから、長いと感じたことはない

–まず、20周年を迎えるにあたって率直な感想はいかがですか?
チフネ
いやもう、気がついたら、という。10年前や15年前に起こった社会の出来事とかをふと振り返ったりすると、随分昔に感じたりして。「あの頃そんな感じだったっけ、経たな~」みたいな。
–もうすぐ年号も跨ぎますからね。
チフネ
まさか時代を跨ぐとは!
アカマ
ずっと好きでやってることだから、長いと感じたことはないんですけど。
ドウメン
長いことやってきたんだな、とは感じますね。
–長くやってこれたのは嬉しいこと?
アカマ
結成当初の頃は、長く続けるモノだとは考えてなくて。
チフネ
ただ、こうやって振り返ると、たいしたもんだなと。凄いだろ、と誇らしくみんなに自慢するようなことでもないとは思ってますけど。
アカマ
今現在のオレたちはカッコいいぞ、というのは伝えていきたいけど、長く続ければそれだけで必ずしもカッコいいとは思っていないので。

たぶん1999年に初ライヴをやってるよね、みたいなのをスタートとして

–では、これまでを振り返ってお話を伺っていきますが、そもそもスタートがどこからなのか曖昧なんですよね。細かく言うと、何が20周年になるんでしょうか?
チフネ
それは……ぶっちゃけ曖昧なんですよね(笑)。バンド生命の物心がついたとき、確か1999年に初ライヴをやってるよね、みたいなのをスタートとしてる感じで。
アカマ
だから、この3人でHOTSQUALLとしてライヴをやったときからです。
チフネ
正直、結成自体は曖昧です。スタジオで何となく曲をコピーして合わせたときなのか、バンド名をつけたときなのか。バンド名をつけるキッカケはオリジナルの曲ができて、ライヴをしたくなったからなんですけど、バンド名が決まったといってもすぐに動き出せたわけじゃないし。だから、結成はいつかと言われたら初ライヴをスタートとするのがいいんじゃないかという。ただ、いちばん最初にやっと取り付けたライヴはアカマの自衛隊の都合でやれなかったんですけど(笑)。
一同
ハハハハ(笑)。
アカマ
それはショッキングすぎて憶えてる!
–普通だったら、結成間もないバンドはスタジオへ入りまくって、曲を作って、ガンガンとライヴをやっていくことが多いでしょうけど、HOTSQUALLはそんなこともなく。
チフネ
当時は月に1回入れればいいくらいでしたかね、スタジオは。
アカマ
オレは自衛官だったから、平日は仕事して、金曜の夜に駐屯地から地元へ戻って、夜中にスタジオで騒ぎまくるっていう。
チフネ
まあ、ただ楽しいだけでやってる感じで。マジで何の知識も知恵もないし。もちろん、当時のオレらなりの感覚で、漠然と、リリースやツアーをしたいとは思ってたけど、特別な何か目標というより、バンドをやってる上で一般的な活動ができることにまず憧れてたぐらい。
–改めて整理すると、当時アカマさんは現役自衛官だったわけですけど、チフネさんとドウメンさんは?
チフネ
オレは大学生でした。
ドウメン
オレも大学生でした。まあ、後ですぐ辞めちゃうんですけど(笑)。
–ということは、3人が同じようなタイム感では動けないわけで。始めたてのバンドが土日しかライヴができないというのも難しさがあったでしょうし。
チフネ
そうですね。オレら、結構特殊だったと思います。同世代のバンドはみんなギラギラと燃えてて、そんなみんなと同じ目の輝きをしてた自負はあるけど、実際にはまったく活動できてなかったわけで。
アカマ
オレも周りの仲間から「自衛隊を辞めてバンドに本腰を入れなよ」とよく言われてましたし。
–メンバーとして、動けないアカマさんに対してフラストレーションはなかった?
チフネ
まあ、ないことはないんですが、その瞬間にそこまで深くは考えていなかったですね。加えて、オレも大学卒業後は一般企業に就職しましたからね。
ドウメン
オレはオレでとりあえず楽しいからやってるって感じで。大学も全然行かず、行ったら行ったで軽音部のスタジオに入って遊んでるぐらい。
チフネ
ドウメンはね、たぶん何も考えてなかったと思います(笑)。すげえのほほんと過ごしてる印象でしたし、大学も辞めちゃうし。まあ、ご存知の通りそういう性格なんでしょうね(笑)。
ドウメン
大学を辞めた後は、自分のペースでちょいちょいバイトしてたぐらいでしたね(笑)。

スロットで超負けたときに「よし、バンドを頑張ろう!」と思った

–アカマさんは自衛隊、チフネさんは大学生、ドウメンさんはフラフラとしてたわけですが(笑)、いつぐらいから多少なりともバンドっぽく動けるようになったんでしょうか?
アカマ
オレが憶えてるのは、2000年に階級が上がって軍曹になった頃。そうしたら、22時だった門限が次の日の朝8時になり、平日の夜でも動けるから、リハ無しで本番のみでやらせてもらえる新宿ACBと柏ZAXのブッキングに出るようになって。
チフネ
思い返すと、バンド活動を凄くやりたかったんだろうなと。バイトしたり、当時はスロットをしてたり、合コンに呼ばれて行ったり(笑)、勉強はあまりせずにいわゆる大学生っぽいことしてたけど、オレはバンドマンだっていう自覚が強くあったと思う。そのうち熱も冷めてフェードアウトしていくみたいな気持ちも一切なく、メンバーに会えば夢や希望をよく語り合ってました。憶えてるのがスロットで超負けたときに大いにヘコんだ後に「よし、バンドを頑張って超稼ごう!」と思ったことがあって(笑)。
一同
ハハハハ(笑)
–当時のバンドなんて、まだまだ形になってないのに(笑)。
チフネ
スタジオすら満足に入ってないクセに(笑)。
アカマ
若かったからこそ、バンドに命を注いで、そこだけに集中すると思わなかったというか。凄くシンプルに「バンド最高だぜ!」という気持ちと普通に働いてるバランスが取れちゃってて。
チフネ
だとしたら、そこはアカマと、オレとドウメンは差がありましたね。地元に残ってるオレらはもっと夢見てたように思う。
ドウメン
そこはそうだね。ACBやZAXに出始めた時期って、他のライヴハウスにも問い合わせてた頃で。下北沢SHELTERのオーディションとかも出ましたから。
チフネ
やっぱり、なんだかんだ言ってもライヴがやりたくて。ZAXも、自転車で偶然通りかかって「何ここ?」とズカズカと入っていって(笑)、当時の店長さんに「あの、オレ、バンドやっててライヴをやりたいんですけど」っていきなり話しかけたのが最初ですから。
–また、リリースにもつながりますし、ACBの存在は大きいですよね。
チフネ
デカかったですね~。話をしたら、別にリハに間に合わなくてもライヴをやらせてくれるっていうし、なにしろそこでPAをしていたアンドリューさん(TIGHTRECORDS)とも出会うわけだから。
――ただ、出始めのころは厳しい状況もあったり
チフネ
会場がオープンしてもリハとフロアの景色がまったく変わってないのを昨日のことのように憶えてます(笑)。それって、全バンドマンがわかってることだと思いますが。
アカマ
何バンドかで対バンしても、お客さんが数人とか当たり前でしたよ。まあ、だからと言って、心が二の足を踏むようなことはなかったんですけど。
–アンドリューさんと距離が近くなっていった理由は?
チフネ
最初はちゃんと挨拶する程度だったんですけど、何回か出た後に「いつもリハ無しでスイマセン!」と伝えたら「全然関係ないし、余裕だよ。キミらの出したい音はすぐわかるし」みたいなことを言ってくれて。
アカマ
むしろ、ライヴや楽曲を凄く褒めてくれてたよね。嬉しかったもんな。すげえ堂々としてて、いきなりそんな感じで、なんかカッコよかったですね(笑)。
チフネ
こういう人が第一線にいる人か、って印象で。ちょうどTIGHT RECORDSが本格的に動き出すぐらいの時期だったんじゃないかな。アンドリューさんから「レーベルを始めるんだよ」と言われた記憶があるし。2003年ぐらいかな。

「ちゃんと筋を通せ!」と言われて「じゃあ、オレたちのライヴを観てください」と

–そのころになるとデモCDも精力的に出してますよね。
アカマ
最初は2000年とかにカセットで出して、そのころは3rdデモCDかな。
–Wikipediaによると、1stデモテープが2000年3月、2ndデモCDが2001年3月、3rdデモCDが2002年10月となってますね。これが正しいという確証もないんですけど……メンバーは「あ~、そうなんだ!」と驚きつつ、しみじみ頷いてますが(笑)。
ドウメン
たぶん、合ってるんだと思います(笑)。
–その後、2005年11月にアンドリューさんが主催するTIGHT RECORDSから1stフルアルバム『YURIAH』をリリースしますが、そこへ向けてバンドはどういった気持ちだったんでしょうか?
チフネ
燃えまくってましたよ。まずはとにかくツアーがやりたくて。その年の夏前にオレは勤めてた会社を、アカマは自衛隊を辞めてるんですよ。一大決心ですね。忘れもしない、「夏のボーナスをもらってから辞めようぜ」って話してた(笑)。
–そうなると、年明けぐらいには腹を決めてたんでしょうかね。
チフネ
いや、もっとギリギリかも。
アカマ
えっと、なんとなく思い出しました。たしか、正月に仕事へ入ったのオレと鬼班長だけだったんですよ。そのとき、班長から「お前も位が上がったんだから、ここからはいい加減、バンドを趣味にして仕事を頑張れ」と言われて、逆に「実は自衛隊を辞めようと思ってます」と答えたんです。まあ、班長は爆ギレだし、オレは感情的になって大泣き(笑)。その後、とことん話しあったなあ。
–凄くドラマティックな話ですけど、そのころドウメンさんは?
ドウメン
オレはまあ……適当でしたね(笑)。
一同
ハハハハ(笑)
ドウメン
そのときはパチンコ屋で普通にバイトしてた感じで。
アカマ
ところで、ライヴに自衛隊の隊長と小隊長と班長を呼んだの憶えてるよね?
ドウメン
あ~、あった、あった!
–ドウメンさんはバイトしながらそれなりに楽しくバンドをやってたわけで。そんな中、他のメンバーが大きな人生の選択をしたことに対しては?
ドウメン
オレなりにプレッシャーはあったと思います。ちゃんとツアーをまわりたいと考えてたし、もっとバンドをしっかりとやりたかったから。オレなりには燃えてたと思います。
チフネ
やっぱり、若い頃の5、6年っていう長い間、やりたいバンドを思うようにやれないというのは、めちゃくちゃ悔しい気持ちがあったのはたしかで。同世代のヤツらはどんどん活躍していくし。今になって思えば、自主イベントをやったり、ツアーバンドに呼ばれてたぐらいなんだろうけど、それだけでもとてつもなく眩しく見えて羨ましかったから。
アカマ
チフネから「ライヴハウスでいろんなツアーバンドを観てるんだけど、みんな雲の上すぎてさ」って悔しそうに電話がかかってきたのを憶えてるな。
チフネ
そうやってヘコむたびに、「もうバンドなんて辞めた方がいいのかな」と考えなかった訳じゃないし。まあ、そもそもが、その時点で挫折ってとこまでもやれてないんだけど(笑)。とにかく、今思えばあの時期に抱えた悔しさがずっと残ってるから、これだけ長く続けてるし、あまりライヴ活動をゆるめないというバンドの性分があるのかもしれないですね。
–しかしながら、『YURIAH』は無名の新人バンドとしてはかなりのヒットを記録し、その後はリリースツアーも開催。これが初ツアーになるんでしょうか?
チフネ
その前に一度だけSCAPEGRACEってバンドとまわったことがあって。厳密に言えば、それが初ツアーになるのかな。
アカマ
それがホントに楽しくて。そのときも「ツアーってこんなにやりがいがあって楽しいのか!」と感動したし、自分たちの作品を出して全国をまわることへの憧れもより強くなって。結果的に、バンドへ本腰を入れることになったのはこのツアーの影響もデカイです。
–『YURIAH』ツアーのファイナルはソールドもしました。
チフネ
そうだ! 感動しましたねえ。でも、当時としては「まだまだ、これくらいで満足するわけにはいかない」みたいに煮えたぎってましたね(笑)。

ツアーのやり方、心の姿勢、バンドとの向き合い方。考えることが多かった

–そこから間髪入れず、2006年11月には1stミニアルバム『LIFE IS CARNIVAL』をリリース。
チフネ
6年分のフラストレーションがそこらへんの活動につながったというか。それこそ、2ndフルアルバム『BACKBEAT』ぐらいまでは一気に突き進んで駆け上がった感じがあります。
–たしか、『LIFE IS CARNIVAL』でもともとライヴでやってて、作品に未収録の曲がほとんどなくなってますよね。
チフネ
そうでしたね。だから、2007年になると、新鮮な気持ちで本格的に新曲の制作にも集中するようになって。
–また、このへんで今やすっかりお馴染みとなったバンドと出会ってるような。
チフネ
2005~2007年ぐらいのところで、ほぼ知り合ってると思います。あと、仲間や先輩のツアーに参加することも増えたんですよね。いちばん最初だとSTOMPIN’BiRDが誘ってくれて東北へ行ったり。いろんなバンドがツアーに誘ってくれることは、ツアー欲が溜まってたオレらとしては本当にありがたい機会だったし、たくさんのお客さんに知ってもらえるキッカケになったと思います。世に出た実感も多少ありましたしね。
–自分たちが広がるキッカケにもなったんでしょうけど、STOMPIN’BiRDはバンドとしても影響を受けましたよね。
ドウメン
ホントにその通りだと思います。
チフネ
感じることがたくさんありましたよ。現場でカッコよくいることを最優先してる姿がいいなと感じたし。それに、キャリアは大先輩ですけど、同じ仲間として接してくれたのが嬉しくて。
アカマ
バンドって、曲を作ってライヴをするだけじゃないんですよね。ツアーをまわれば、リハも打ち上げも移動もすべてが楽しいし、けど、そこにはたくさんの暗黙のルールもあって。何がカッコよくて何がカッコ悪いとか、先輩バンドたちが背中で教えてくれたことがたくさんあったと思います。
–STOMPIN’BiRDやたくさんのバンドとの交流を含め、今につながるスタンスが様々な刺激や影響で固まっていった時期というか。
チフネ
そうですね。ツアーのやり方、心の姿勢、バンドとの向き合い方。活動が本格的になるにつれ、もっと成長しなきゃと思うことが多かったです。
–そして、2007年になると限定シングル『Never fading feelings』を発表しました。
チフネ
このあたりは、すっごい充実してましたね。制作も順調だったし。ある意味いちばん手応えを感じた時期かもしれない。
–2008年には7月7日の七夕にACBでフリーライヴを開催しました。
チフネ
ヤバかったですよね、あのとき(笑)。『BACKBEAT』リリース直前のプレイベント的なモノだったのかな。
–チケットを発売したわけじゃないから、どれぐらい人が来るのか読めなくて、当日は驚くほどの混雑と。
アカマ
想像以上に人が来てくれて「すげえじゃん!」って嬉しかった。でも、まだまだ満足する感じではなかったですね(笑)。
チフネ
もっともっと、と思ってたんでしょうね。周りには大きな会場を埋めるバンドも出てきて、「オレたちもこれぐらいはやらなきゃ」みたいな気持ちって、今より若い分、やっぱり少なからずあったし。
–この年の10月には2ndフルアルバム『BACKBEAT』を発表。HOTSQUALLのサウンド的なパブリックイメージはここで固まったような気もします。
チフネ
そうですね。
アカマ
オレ自身、それはあると思います。
チフネ
後輩たちからとか、今でもオレらを知ったキッカケと言われるのは『BACKBEAT』です。さっきも話しましたが、曲のストックが切れてるのもあって、ちゃんとイチから作ろうとメンバーで制作合宿してみたり。オレたちは本来、どういうバンドやどんな曲が好きで、どういったことをやりたいのかも凄く考えた。何だろう……『YURIAH』を出した後に、そこで収まりきらなかった既存曲と新曲で『LIFE IS CARNIVAL』を作って。そこも評価されたのは良かったけど、「ホスコってあの浮かれた感じのメロコアバンドでしょ」というか、ポップな面ばかり注目された感じが個人的にモヤモヤしたんです。ナメるなよと(笑)。オレら的にはポップでキャッチーかつチャーミングな感じも好きだし、そういう面もあるんでしょうけど、それがすべてと判断されてしまうのは全然違うから。
–バンド内でもそういう話になったり?
チフネ
曲を作る立場として、オレがメンバーに言いましたね。「熱くて強くてシリアスなのブチかましたい」みたいな。それで、まず『Never fading feelings』を作り、反響が大きかったので手応えを感じ、その勢いのまま延長線上で『BACKBEAT』へとたどり着いて。今でもライヴの必殺曲になってる「Won’t let you down」や「ROCK SOLDIERS NEVER DIE」がこの時期にできてるっていうのも、きっとそういうことですね。
アカマ
バンドの空気として「本気のヤツ、見せてやろうぜ」みたいなのもあったな。

満足したわけじゃないし、とにかくチャレンジはしたかった

–このあたりで、リリースやツアーといった、当初バンドが描いてた夢や目標はひと通り経験しましたよね。2009年はワンマンを2回やったのが大きなトピックとしてはありますが、心境としてはどうでした?
チフネ
当時、HOTSQUALLがずっと心の中で大事にしてた目標のひとつとして、地元である千葉LOOKでの初ワンマンがあったんです。で、『BACKBEAT』ツアーが後半に差し掛かるタイミングにその日程を決めて、2009年4月にやって。お客さんも気持ちを共有してくれてたみたいで、チケットも即完して、千葉LOOKのみんなも喜んでくれて、ひとつの夢を叶えた最高の日でした。けど……おそらく、そこでオレたちはいったん目標を見失っちゃうんですね(笑)。
ドウメン
そうだね。走り始めてからついにひと段落しちゃったというか。
–12月に名古屋でもワンマンをやりましたけど、これはお客さんに煽られたことがキッカケでしたよね。
ドウメン
名古屋でのライヴ中にお客さんから「名古屋でもやってくれよ!」と言われたとき、「じゃあ、やるよ!」って答えちゃったんです。
–どなたが答えたんですか?
チフネ
そういう勢い系のはだいたいアカマです(笑)。
アカマ
まあ、そうですね(笑)。そういう場で「いや、スケジュールの問題が」とか言うのもね。
チフネ
オレも、約束したからにはやるしかねーってなっちゃうから、勢い返答はほどほどにして欲しいです(笑)。
アカマ
すいません(笑)。
–ハハハハ(笑)。先ほど、目標を見失ったとおっしゃってましたけど、2010年5月には2ndミニアルバム『Darlin’Darlin’』をリリースしてますよね。ということは、意外と早い段階で定まったような?
チフネ
いや、たぶん定まってないまま、出してますね。2009年は何もリリースしてなくて、自分的にもちょっと足踏みしてる印象を感じながら過ごしてたところもあって。やりたかったたくさんのバンドとも、ある程度知り合えた感じもあったし。
–言ってしまえば、力づくでスタートをしたところも?
チフネ
という部分はあったかも。
–ただ、その後も含めて考えれば、『Darlin’ Darlin’』はライヴでお馴染みの代表曲が収録されてるいい作品なんですよね。
チフネ
なかなか素晴らしい作品なんです(笑)。
ドウメン
実際、今もライヴの定番曲ばっかり入ってるし。
–2010年は『Darlin’Darlin’』のみならず、9月には原宿ASTRO HALLで主催イベント、11月にはTIGHT RECORDSからの最後の作品にもなった2ndシングル『AIN’T SHE SWEET』を発表。定まってないままに走り出したということですけど、かなり濃い1年かなと。
チフネ
あくまでオレら的にですけど、やっぱり2009年が妙に落ち着いた感が出ちゃった感触だったから、その反動ですね。
アカマ
具体的に何かを見据えられてたわけじゃないけど、当然、満足したわけじゃないし。とにかくチャレンジしていたい気持ちは変わらなかったから。
–そういったチャレンジに結果はついてきましたが、その後にTIGHT RECORDSを卒業することになりました。
チフネ
いや~、こうやって改めて振り返ると、どうしてそういう流れになっていくのかなんとなくわかってきますね。当時のオレらなりに一生懸命話し合いながら考えた結果で、なんとか状況や環境を変えたがってる。環境を変えないと、同じことの繰り返しでこのままつまらなくなっていくかもしれないと思ってたのかも。環境を変えるっていっても、メジャーやインディーとか、レーベル云々というより、それによるメンバー自身のモチベーションや心持ちの話ですね。
–具体的にそういった話が持ち上がったのはいつぐらいだったんですか?
チフネ
具体的になったのは2011年3月でしたね。その前からもメンバーとはミーティングしてたし、個人的にもアンドリューさんとはずっと話してて。それこそ、ツアーから帰ってきて、そのまま朝方まで誰かの家の前で何時間も話し合ってたこともあったし。
–バンド内の空気として、そこは一致してた?
アカマ
目標がハッキリ定ってないけど、活動的に落ち込みたくはない。でも、とりあえずリリースをするとかだと、自分らの気持ちがマンネリ化してってしまうことにはちょっとずつ気づいてたし。だったら、バンド活動の感覚を違うところへ持っていって、また新しい夢を見たいという気持ちにもなったんですよね。

ドウメン
オレらはオレらでやってみたいことや広げてみたいこともあって。それが上手くいくか、上手くいかないかはわからないんですけど、その為には新しい環境でやることも必要かなって。
チフネ
ずっと話し合ってきたアンドリューさんも「そういうことだったら応援するよ!」と言ってくれたし、自分ら主導でまずはやってみようと。で、改めてONION ROCK RECORDSという名前を作って、新たに自分ら主導でいろいろと動き出していくことにしたんですよね。
–続く
interview by ヤコウリュウジ
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